選挙は“誰かのため”じゃない。自分の人生を引き受けるということ
選挙は“誰かのため”じゃない
自分の人生を引き受けるということ
〜自分で感じ、考え、行動する人を育てたい理由〜
来月、衆議院選挙が行われそうですね。
選挙と聞くと、
「難しそう」
「よく分からない」
「自分一人が行っても変わらない」
そんな声が聞こえてきそうです。
けれど私は、選挙こそが“生きた教育”そのものだと考えています。
■ 周りで起きていることを
「我がこと」として感じる
物価の上昇、
将来への不安、
教育や医療、
地域の衰退…。
これらはニュースの中の出来事ではなく、
私たち一人ひとりの暮らしと直結しています。
まず大切なのは、
「正解を知ること」ではなく、
自分は何を感じているのかに目を向けること。
違和感、怒り、不安、希望。
どんな感情でもいい。
そこが、すべての出発点です。
■ 自分の頭で考えるということ
感じたことを、そのまま誰かの意見で上書きしない。
テレビ、SNS、周囲の声をうのみにせず、
「なぜそう感じたのか」
「本当はどうあってほしいのか」
を、自分の言葉で考えてみる。
共育塾では、
歴史・公民・世界情勢を学ぶのも、
答えを覚えるためではなく、
考える材料を増やすためです。
意見が違ってもいい。
分からなくてもいい。
考えることをやめない力こそが、これからの時代を生き抜く力だと思っています。
■ 行動することで、学びは本物になる
そして、選挙という「行動」。
誰に投票するか、
あるいは投票しないという選択も含めて、
それは自分の人生と社会に対する意思表示です。
結果がどうなるかよりも大切なのは、
「自分で感じ、考えたうえで行動した」という事実。
この経験が積み重なって、人は
「誰かのせいにしない生き方」
「自分の人生を引き受ける姿勢」
を身につけていくのだと思います。
■ 共育塾が目指していること
共育塾が育てたいのは、
テストの点数が高い人ではありません。
自分で感じ、考え、責任ある行動がとれる人。
そして、社会の一員として
「自立」と「調和」を同時に大切にできる人です。
この度の選挙をきっかけに、
大人も子どもも一緒に考え、語り合う。
その時間こそが、何よりの学びになります。
生きた教育とは、
教室の中だけで完結するものではなく、
今、この社会で起きている現実と向き合うこと。
これからも共育塾は、
共に感じ、
共に考え、
共に学び続ける場でありたいと思っています。
自然とともに学ぶ 〜共育塾と「菌ちゃん農法」〜
自然とともに学ぶ
〜共育塾と「菌ちゃん農法」〜
共育塾では、歴史・公民・世界情勢・自然科学などをテーマに、「感じ、考え、行動する」学びを大切にしています。
そして今回、新たに「農業」を学びの柱のひとつとして取り入れることにしました。
■ なぜ、農業なのか
食べることは、生きること。
土に触れ、植物が育つ過程を知ることは、自然のしくみや命の循環を、頭ではなく体で理解する学びにつながります。
そこで共育塾では、茅農法(菌ちゃん農法)による野菜栽培に挑戦します。
■ 具体的な取り組み
まずは、塾の敷地内にプランターを設置し、子どもたちと一緒に土づくりから始めます。
さらに、五位山地区(小野)に畑をお借りし、より本格的な栽培にも取り組む予定です。
育てた野菜は、
・塾の生徒や関係者の方々に配布
・将来的には、地域の社会支援施設への寄付
そんな形で、地域にも循環していく学びにしたいと考えています。
■ 自然のしくみを、体験として学ぶ
菌ちゃん農法は、
「人がコントロールする農業」ではなく、
「自然の力を信じ、任せる農業」です。
目に見えない微生物が土を豊かにし、植物が育ち、その恵みを人がいただく。
この循環を体験すると、「すごい」「ありがたい」という感動や感謝の気持ちが自然と生まれます。
それこそが、共育塾が大切にしたい学びです。
■ 地域とつながる学びへ
畑を通じて、地域の方々との交流も生まれてくるかもしれません。
教科書だけでは学べないこと、人との関わりの中でしか育たない心があります。
共育塾は、地域に開かれ、地域とともに育つ場でありたいと思っています。
■ 塾長も、共に学びます
もちろん、塾長自身も「先生」ではなく、一人の学ぶ人として、子どもたちと一緒に土に触れます。
わからないことは一緒に考え、失敗も含めて、学びにしていく。それが「共に育つ=共育」だと考えています。
自然と向き合う時間は、心を整え、自分自身と向き合う時間にもなります。
これから始まる小さな畑が、子どもたちの中に、そして地域の中に、やさしい循環を生み出していくことを願っています。
共に学び、共に育つ共育塾を目指しています。
なぜ今、「共に育つ学び」を始めるのか
なぜ今、「共に育つ学び」を始めるのか
― 共育塾に込めた想い ―
新年あけましておめでとうございます。
新しい年を迎え、改めて「これからの学び」について考えています。
まずお伝えしておきたいのは、これまで行ってきた 受験指導・学校の学習支援 は、これからも大切に続けていく、ということです。
基礎学力を身につけること、
努力を積み重ねること、
目標に向かって挑戦すること。
それらは、これからも変わらず必要な力です。
その一方で、
日々子どもたちと関わる中で、
私の中に少しずつ強くなってきた思いがありました。
■ これからの社会は、どうなっていくのか
社会は、これまで以上に
「正解が一つではない時代」へと進んでいます。
言われた通りに動ける力よりも、
自分で感じ、考え、選び、行動する力 が
強く求められる時代です。
誰かの答えをなぞるのではなく、
自分の内側に問いを持ち、
その結果に責任を持つこと。
それは、少し不安で、でも本当はとても人間らしい生き方だと感じています。
■ 特別授業から「共育塾」へ
これまで行ってきた特別授業では、点数や成績だけでは測れない、子どもたちの 表情の変化 や 言葉の深まり を何度も目にしてきました。
「そんなふうに考えていいんだ」
「自分の気持ちを話してもいいんだ」
そう気づいた瞬間の、少し驚いたような、でも安心したような表情。
この学びを、一過性の特別な時間ではなく、ひとつの柱として育てていきたいそう思うようになりました。
そこで、
特別授業の発展版として「共育塾」 を正式に立ち上げることを決めました。(正式スタートは3月、
1月・2月は体験期間として行います。)
■ 「共育」という名前に込めた意味
共育塾という名前には、「教える人」「教えられる人」という一方向の関係ではなく、大人も、子どもも、共に育つ場でありたいという願いを込めています。
子どもたちは、答えを与えられる存在ではなく、自分の中にすでに芽を持っています。
大人の役割は、それを引き出し、急がせず、信じて見守ること。
■ 自立と調和へ
共育塾が目指すのは、
「自立」と「調和」です。
自分の足で立ち、
自分の感覚を信じて生きること。
そして同時に、
他者と共に在り、社会とつながること。
その両方を大切にできる人は、これからの時代をきっと しなやかに、楽しみながら 生きていけるはずです。
共育塾は、すぐに結果を出す場所ではありません。
けれど、これからの人生を支える「根っこ」をゆっくり育てる場でありたいと思っています。
この想いに共鳴してくださる方と、ご縁がつながれば幸いです。
誇りと愛着はどこから生まれるか
― 塾という「場」について、ふと思ったこと ―
先日、掃除をしている最中に、ふと考えたことがあります。それは、「塾に対する誇りや愛着」というものについてです。
私は、自分の塾に対して誇りも愛着も持っているつもりです。
では、生徒たちはどうだろうか。
そんな問いが、自然と浮かんできました。
「なんとなく通う」子が増えているという実感
10年前と比べて、最近は「塾に対する誇り」や「この場所への愛着」が、以前より薄い生徒が増えているように感じます。
たとえば、
親に言われたから通っている
なんとなく周りが行っているから
特に理由はないけれど、とりあえず塾へ
もちろん、すべての生徒がそうではありません。
しかし、そうした「なんとなく」の状態で通っている生徒ほど、覇気が感じられず、結果も伴いにくい傾向があるのは事実です。
保護者の側も同じで、
「とりあえず塾に行かせておけば安心」
という空気を感じることもあります。
一方で、まったく違う生徒たちもいる
数は多くありませんが、
「この塾で学びたい」
「ここに通いたいからお願いしたい」
と、生徒自身が親にお願いして入塾してくるケースがあります。
そうした生徒は、学ぶ姿勢がまったく違います。努力の質が違い、結果も自然と伴うことが多い。
これは能力の差というよりも、
「その場を自分で選んだかどうか」
その違いだと感じています。
誇りと愛着の正体
誇りとは何でしょうか。
愛着とは、どこから生まれるのでしょうか。
私は、こう思います。
誇りとは、「自分の選択を肯定できている状態」
愛着とは、「関係性が積み重なった結果」
誰かに決められた場所では、
誇りも愛着も育ちにくい。
自分で選び、
自分の意思で身を置いた場所だからこそ、
人はその場を大切にしようとします。
これは塾だけの話ではない
この感覚は、塾だけの問題ではありません。
学校も、仕事も、社会も、
「なんとなくそこにいる」人が増えている。
その結果、
エネルギーが巡らず、
覇気が感じられなくなっている。
塾は、そうした時代の空気を
最前線で受け取っている場所なのだと思います。
だからこそ、これからの塾にできること
これからの時代、
すべての人に合う塾である必要はないのかもしれません。
それよりも、
なぜ学ぶのか
ここで学ぶ意味は何か
自分はどんな人生を生きたいのか
そうした問いを大切にしながら、
「共に学びたい人」と出会える場であること。
人数は少なくても、
誇りと愛着のある場は、
必ず周囲に静かな波紋を広げていきます。
おわりに
今回の気づきは、
衰退ではなく、次の段階への合図だと感じています。
誇りと愛着が育つ場とは何か。
その問いを、これからも大切にしながら、
この塾を育てていきたいと思います。
第10回 失敗できる場所があるということ
子どもが失敗したとき、
私たち大人は、つい不安になります。
「このままで大丈夫だろうか」
「将来、困らないだろうか」
「早く立て直させなければ」
そんな思いがよぎるのは、
それだけ真剣に子どものことを考えているからだと思います。
けれど今の社会では、
失敗することそのものが、必要以上に怖いものになってはいないでしょうか。
■ 失敗が許されない空気の中で
学校でも、社会でも、
「ミスをしないこと」
「効率よくこなすこと」
「正解を早く出すこと」
が求められる場面が増えています。
その中で子どもたちは、知らず知らずのうちに、
間違えないように動く
目立たないように振る舞う
できない自分を隠そうとする
そんな“守りの姿勢”を身につけていきます。
でも本当は、
人は失敗しながらしか、自分のやり方を見つけられません。
■ 塾で見てきた子どもたちの姿
私はこれまで、
うまくいかない経験を重ねながらも、
時間をかけて自分の足で立ち上がっていく子どもたちを見てきました。
最初は、
「どうせ自分なんて」
「また失敗するからやらない」
そう言っていた子が、
ある日、小さな挑戦をします。
うまくいかない。
またつまずく。
それでも――
「もう一回やってみようかな」
そう口にしたとき、
その子の中では、確かな変化が起きています。
それは、
失敗しても大丈夫な場所がある
という安心感が育ってきた証です。
■ 失敗できる場所とは
失敗できる場所とは、
何でも許される場所ではありません。
できなかったことを責められない
すぐに答えを与えられない
無理に前向きにさせられない
そして何より、
**「ただ話を聴いてもらえる場所」**です。
塾では、
できなかったことを分析する前に、
まずその子の言葉を聴きます。
「どう感じた?」
「何が一番つらかった?」
アドバイスよりも先に、
評価よりも先に、
ただ聴く。
すると子どもは、
自分の心を少しずつ整理し始めます。
■ 失敗は、心が育つ入口
失敗は、後退ではありません。
遠回りでもありません。
むしろ、
自分を知るきっかけ
他人と違う道を見つける入口
本当の意味で自立していくための通過点
なのだと思います。
失敗を恐れずに挑戦できる子は、
自分で考え、修正し、また進む力を身につけていきます。
それは、点数では測れない、
これからの時代を生きるための大切な力です。
■ 大人にできること
私たち大人にできることは、
失敗をなくすことではありません。
失敗しても、
戻ってこられる場所をつくること。
立ち止まっても、
話を聴いてもらえる場所を守ること。
その積み重ねが、
子どもにとっての「生きる土台」になります。
失敗できる場所があるということ。
それは、
安心して成長できる場所があるということなのだと思います。








