子どもたちの一言に、塾長自身が導かれた
2026-09-12
―「わらしべ長者」から考えた、
寺子屋ひこばえの学び ―
寺子屋ひこばえでは、
国語や算数などの
教科学習だけではなく、
物語を読んだり、
身近な出来事について
考えたりする「お話」の時間があります。
先日の「お話」の時間では、
何回かに分けて読んできた
昔話「わらしべ長者」の
最終回を扱いました。
何回かに分けて読んできた
昔話「わらしべ長者」の
最終回を扱いました。
物語の流れをみんなで振り返ったあと、
私は子どもたちに、
こんな問いを投げかけました。
「なぜ、この貧乏な男は
長者になれたのだろう?」
すると、
子どもたちからいろいろな答えが出てきました。
「観音様にお願いしたから」
「運が良かったから」
「観音様のお告げを心から信じたから」
どれも、
その物語をよく考えているからこそ
出てくる意見です。
ところが、
その中に一つ、
私の心に強く響く答えがありました。
「目の前の困っている人を助けたから」
その瞬間、
私の中で何かが「カチッ」と
はまったように感じました。
「ああ、そうだ」
そんな感覚でした。
答えを教えるのではなく、
問いを一緒に考える
私が寺子屋ひこばえで
大切にしているのは、
できるだけ「正解を教える」
ことから始めないことです。
もちろん、
知識を身につけることは大切です。
しかし、知識を覚えるだけではなく、
「なぜだろう?」
と自分で問いを持ち、
「自分はどう思う?」
と考え、
「ほかの人はどう考えているんだろう?」
と耳を傾ける。
そんな経験を重ねることも、
子どもたちの学びには大切だと考えています。
今回も、
最初から私が
「わらしべ長者になれたのは、
人助けをしたからです」
と説明したわけではありません。
子どもたち自身に問いかけ、
出てきた意見をみんなで聞き合いました。
その中から、
子ども自身の言葉で、
大切なところにたどり着いたのです。
もう一つの問い
「神様に願いを伝えるには?」
そこで、もう一つ問いを投げかけてみました。
「神様や仏様にお願いするとき、
どうすれば願いが叶うのだろう?」
すると、
「神様に感謝する」
「一生懸命お願いする」
という意見が出てきました。
そして、さらにこんな意見が出ました。
「世の中の役に立つことをしたい、
困っている人を助けたい、
という気持ちを伝えれば、
神様はきっとかなえてくれるんじゃない?」
この言葉には、
私自身も考えさせられました。
子どもたちの中から、
単に「自分の願いを叶えてほしい」
という方向だけではなく、
「誰かのために何かをしたい」
という願いが出てきたからです。
そのとき、
多くの子どもたちの顔が、
一瞬「パッ」と輝いたように見えました。
発言した子自身も、
そしてその言葉を聞いていた子どもたちも。
私はその表情を見ながら、
「この子たちの中にも、
何か大切なものが響いたのかもしれない」
と感じました。
実は、
塾長自身が子どもたちに教えてもらった
今回、私自身にも大きな発見がありました。
私は最近、自分自身の生き方について、
「自分の思い通りにしたい」
「自分が認められたい」
「自分が得たい」
という小さな「我」にばかり心を向けるのではなく、
「自分は誰かのために何ができるだろう」
という方向に心を向けることについて考えています。
また、神仏への祈りや、
神仏に委ねるということについても、
自分なりに学びを深めています。
そんな中で聞いた、
「目の前の困っている人を助けたから」
という子どもの一言。
その瞬間、
それまで自分の中で別々に考えていたことが、
一気につながったように感じました。
「わらしべ長者」の主人公は、
自分の力だけで
何とかしようとしたわけではありません。
自分の無力さを自覚し、
観音様にすがった。
そして、
お告げを素直に信じて行動した。
その道の途中で、
目の前の困っている人を助けていった。
その結果として、
最後に「長者」になっていきます。
もちろん、
これは私自身のこの物語に対する一つの読み方です。
でも、
今回の子どもたちとの対話を通して、
私は改めて、
「自分のために何かを得ようとすること」
と「誰かのために行動すること」では、
心の向いている方向が違う
と「誰かのために行動すること」では、
心の向いている方向が違う
ということを考えさせられました。
「共育」とは、先生も一緒に学ぶこと
そして、今回一番強く感じたのは、
これこそ「共育」なのではないか
ということです。
私は子どもたちに問いを投げかけました。
しかし、
その問いに答えてくれた
子どもたちの言葉によって、
今度は私自身が気づかせてもらったのです。
つまり、
教える側と教えられる側が、
固定されていない。
固定されていない。
子どもが考え、
大人がそれを受け取り、
大人もまた考える。
そして、
その考えを子どもたちと共有する。
そんな循環が生まれます。
これが、
私が「共育塾」で大切にしたい学びの姿です。
「勉強ができる」だけではない学び
寺子屋ひこばえでは、
もちろん教科の学習も行います。
しかし、それだけを目的にはしていません。
物語を読んで、
「なぜだろう?」
と考える。
友達の意見を聞いて、
「そんな考え方もあるんだ」
と気づく。
自分の考えを言葉にしてみる。
そして、ときには大人である私自身も、
「なるほど。そういう見方があったのか」
と教えてもらう。
こうした経験の積み重ねが、
自分で考える力
人の話を聴く力
自分の考えを表現する力
違う考えを受け止める力
につながっていくのだと思います。
そして、
それは学校のテストの点数だけでは
測りにくい力かもしれません。
でも、
これからの社会を生きていく
子どもたちにとって、
大切な力になると私は考えています。
子どもたちと一緒に、
「なぜ?」を楽しむ
今回の授業で、
私は子どもたちに
一つの答えを教えたわけではありません。
むしろ、
子どもたちの一言によって、
私自身が新しい見方を教えてもらいました。
帰宅してからも、
そのときのことが心に残っていました。
そして家族にも、この出来事を話しました。
こうして、
一つの昔話から子どもたちと一緒に考え、
大人である私自身も考えさせられる。
そんな時間を、
これからも寺子屋ひこばえで
大切にしていきたいと思います。
「答えを覚える」だけではなく、
「問いを持ち、自分で考える」。
そして、
「先生から学ぶ」だけではなく、
「お互いから学ぶ」。
それが、
寺子屋ひこばえで
私が子どもたちと一緒に
つくっていきたい学びの場です。
子どもたちに問いかけたつもりが、
気がつけば、
私自身が子どもたちに導かれていた。
そんな一日でした。




