道徳塾にカウンセリングがある理由
2026-08-12
「安心して話せる場所」
から始まった傾聴
道徳塾には、現在、
大きく分けて三つの役割があります。
一つは、
これまで続けてきた学習塾としての学習支援。
二つ目は、現在取り組んでいる**「共育塾」**。
そしてもう一つが、
傾聴を基調としたカウンセリングです。
一見すると、
別々の取り組みに見えるかもしれません。
しかし、
私の中では、この三つは一つにつながっています。
その原点には、
かつて道徳塾に通っていた
一人の不登校の生徒との出会いがあります。
不登校の生徒が教えてくれた
「居場所」の意味
長年、学習塾を営んでいると、
勉強だけでは解決できない
問題を抱えた子どもたちと
出会うことがあります。
以前、道徳塾に不登校の生徒が
通っていたことがありました。
その生徒は、
必ずしも塾で勉強をする
わけではありませんでした。
私と話をする。
学校のこと、家庭のこと、友達のこと。
ときには、
勉強とは関係のない何気ない話もしました。
私は、
その生徒に何か特別なことを
したわけではありません。
ただ、話を聴いていました。
すると、
その生徒は少しずつエネルギーを
取り戻していきました。
そしてやがて、
自分自身の意志で立ち上がっていったのです。
その姿を見たとき、
私は一つのことを強く感じました。
人は、安心して話せる場所があると、
自分自身の力を取り戻していくことがある。
この経験は、
私の教育観を大きく変えることになりました。
「教える」だけではなく、
「聴く」という支援
教育というと、
どうしても「教えること」を考えます。
勉強を教える。
アドバイスをする。
方法を示す。
励ます。
もちろん、それが必要な場面もあります。
しかし、人によっては、
まず自分の気持ちを
安心して話せることが必要な場合もあります。
「自分の気持ちを分かってほしい」
「否定せずに話を聴いてほしい」
「自分のことを整理したい」
そんなとき、すぐに答えを与えることが、
その人の力になるとは限りません。
むしろ、安心して話すことによって、
自分自身の中にある答え
に気づいていくことがあります。
この経験から、
私は「傾聴」というものを、
もっと深く学んでみたいと思うようになりました。
産業カウンセラーの学びへ
そこで私は、
産業カウンセラーの養成講座で学びました。
そこでは、
カウンセリングについての知識を
学ぶだけではありません。
実際に人の話を聴くトレーニングも行います。
相手の話を遮らない。
自分の価値判断をいったん脇に置く。
安易に答えを出そうとしない。
相手が何を感じているのかに耳を傾ける。
そして、相手自身が
自分の中にあるものに気づいていくことを待つ。
こうした「傾聴」を、実践を通して学びました。
振り返ってみると、
私にとって傾聴は、
養成講座で初めて出会ったものではありません。
すでに塾の現場で、
一人の生徒との関わりを通して、
その大切さを体験していたのだと思います。
養成講座で学んだことは、
その経験に理論的な裏付けを与えてくれました。
子どもの問題を
「子どもだけの問題」にしない
現在、道徳塾のカウンセリングを
利用されるのは、生徒だけではありません。
保護者の方や、
ご家族の方にも利用していただいています。
これは、私にとってとても自然なことです。
なぜなら、
子どもは一人だけで生活しているわけ
ではないからです。
例えば、
- 勉強に集中できない
- 宿題をしない
- 成績が上がらない
- 学校に行けない
- やる気が出ない
- 親子の会話がうまくいかない
といった問題があったとします。
もちろん、
本人の学習方法や生活習慣が
関係している場合もあります。
しかし、その原因が
必ずしも本人だけにあるとは限りません。
家庭での人間関係や
親子のコミュニケーション、
学校での人間関係、
本人が抱えている不安など、
さまざまな要素が関係していることがあります。
家族全体を
一つの「関係」として考えてみる
例えば、子どもの将来を心配する親が、
「もっと勉強しなさい」
と声をかける。
親としては、子どものためを思っている。
けれど、子どもはその言葉を、
「自分はダメだと言われている」
と感じてしまうことがあります。
子どもが反発すると、
親はさらに心配になり、
もっと声をかける。
すると子どもは、
さらに心を閉ざしてしまう。
このような循環が生まれることがあります。
ここで大切なのは、
「誰が悪いのか」を決めることではありません。
親も子どもも、
それぞれの立場で一生懸命なのです。
それでも、
人と人との関係の中で
苦しさが生まれることがあります。
だからこそ、
子どもの困りごとを考えるときには、
「この子だけに原因があるのだろうか?」
と、一度立ち止まって考えてみることも
大切なのではないでしょうか。
大切なのではないでしょうか。
子どもを取り巻く家庭環境や
人間関係も含めて、その子を理解してみる。
その視点が、
問題を別の角度から見つめる
きっかけになることがあります。
保護者にも「安心して話せる場所」を
子どものことで悩んでいるとき、
保護者の方自身も苦しんでいることがあります。
「親なのだから、しっかりしなければ」
「もっと自分が頑張らなければ」
そう思うほど、
自分自身の気持ちを後回しに
してしまうこともあります。
だからこそ、
保護者の方にも
安心して話せる場所があっていい。
誰かに話を聴いてもらうことで、
自分の気持ちが整理される。
自分が何を心配しているのかに気づく。
子どもとの関係を、
少し違った角度から見られるようになる。
そうした変化が、
結果として親子関係に
新しい変化をもたらすこともあります。
道徳塾が目指す
「学び」と「共育」と「傾聴」
現在の道徳塾には、
学ぶ場所
としての「塾」があります。
そして、
ともに学び、ともに育つ場所
としての「共育塾」があります。
さらに、
安心して話せる場所
としてのカウンセリングがあります。
私は、この三つを
別々のものだとは考えていません。
人は、
安心できる場所があってこそ、
学ぶことができます。
自分のことを安心して話せるからこそ、
自分自身を見つめることができます。
そして、
自分自身を見つめることができると、
自分の力で次の一歩を踏み出せることがあります。
だから私は、
「教える」だけではなく、
「聴く」ことも教育の一部なのではないか。
「聴く」ことも教育の一部なのではないか。
そう考えています。
「安心して話せる場所」を、これからも
かつて、一人の不登校の生徒が、
道徳塾という場所で話をしながら
少しずつエネルギーを取り戻し、
自分自身の力で立ち上がっていきました。
その経験が、
私に「聴くこと」の大切さを教えてくれました。
そして、
その経験をきっかけに傾聴を学び、
現在のカウンセリングにつながっています。
道徳塾は、
単に勉強を教える場所ではありません。
子どもも、大人も、
学ぶことができる。
考えることができる。
話すことができる。
そして、
自分自身の力で歩き出すことができる。
そんな場所でありたいと思っています。
もし今、
「子どものことで誰かに話を聴いてほしい」
「親子関係について悩んでいる」
「勉強のことだけれど、
どうも勉強だけの問題ではない気がする」
どうも勉強だけの問題ではない気がする」
「自分自身の気持ちを整理したい」
そんな思いを抱えておられるなら、
一人で抱え込まず、一度お話をしてみませんか。
道徳塾のカウンセリングは、
答えを一方的にお伝えするのではなく、
傾聴を大切にしながら、
一緒に考えていく時間を提供しています。
「何を話せばいいのか分からない」
という状態でも大丈夫です。
まずは、
今感じていることからお話しください。
「勉強する場所」だけじゃない共育塾をつくりたい
2026-08-11
最近、私は「共育塾」というものについて、
あらためて考えています。
あらためて考えています。
これまで学習塾として、
国語・数学・英語・理科・社会などの学習を中心に、生徒たちと向き合ってきました。
もちろん、
これからも「学ぶこと」は共育塾の大切な柱です。
ただ、最近になって、
「共育塾は、勉強をする場所だけ
ではなくてもいいのではないか」
ではなくてもいいのではないか」
そんな思いが、少しずつ大きくなってきました。
まだ具体的な形が決まっているわけではありません。
今回は、現在私が考えている
「共育塾のこれからの構想」について、
少し書いてみたいと思います。
年齢や立場を越えて、自由に話せる場所
私がつくってみたいと思っているのは、
年齢・性別・職業などを、
いったん横に置いて自由に対話できる場所
いったん横に置いて自由に対話できる場所
です。
たとえば、中学生、高校生、
大学生、社会人、地域の大人などが、
同じ場に集まる。
普段の生活では、
「この人は先生だから」
「この人は大人だから」
「この人は子どもだから」
「この人はこういう仕事をしているから」
といった立場を意識することが多いと思います。
でも、その場では少しだけ肩書きを外して、
一人の人間として話してみる。
「あなたはどう思う?」
「私はこう感じた」
「そんな考え方もあるんだね」
そんな対話ができる場所です。
正解のない問いについて、一緒に考える
学校や塾での勉強には、正解があります。
数学の問題なら答えがありますし、
英語や理科、社会にも
身につけるべき知識があります。
英語や理科、社会にも
身につけるべき知識があります。
そうした学習は、もちろん大切です。
一方で、私たちが生きていく中には、
正解が一つではない問いもたくさんあります。
「幸せって何だろう?」
「働くってどういうことだろう?」
「自分らしく生きるって何だろう?」
「どうして人は争うのだろう?」
「これからの社会はどうなっていくのだろう?」
こうした問いには、
テストのような一つの正解はありません。
だからこそ、
誰かの考えを聞き、
自分の考えを話してみる。
その中で、
「そんな見方があるんだ」
と気づいたり、
「自分は本当はこう考えていたんだ」
と気づいたりする。
私は、こうしたことも
大切な「学び」だと思っています。
悩みや苦しみも、話していい場所
もう一つ、
共育塾でできたらいいなと
思っていることがあります。
それは、
悩みや苦しみを、
安心して話せる場所をつくること
安心して話せる場所をつくること
です。
悩みを話したからといって、
必ず解決する必要はありません。
誰かから正しい答えを
教えてもらう必要もありません。
ただ、自分の気持ちを言葉にしてみる。
誰かに聴いてもらう。
そして、今度は誰かの話を聴いてみる。
それだけで、
少し気持ちが楽になることがあります。
また、
「こんなことで悩んでいるのは自分だけだ」
と思っていたことが、
実は他の人も似たような経験を
していたと知ることもあるでしょう。
実は他の人も似たような経験を
していたと知ることもあるでしょう。
誰かの話を聴くことで、
「自分にも似たところがあるな」
と気づくこともあるかもしれません。
そう考えると、
話すことも、聴くことも、
一つの学びなのではないか。
一つの学びなのではないか。
そんなふうに考えています。
その場から何が生まれるのかを楽しみたい
そして、私が一番楽しみにしているのが、
「その場から何が生まれるのか分からない」
という部分です。
最初からすべてを決めてしまうのではなく、
ある程度の余白を残しておく。
例えば、
一つのテーマについて話し始めたとしても、
誰かの一言から歴史の話になり、
そこから科学の話になり、
さらに哲学や人生の話になっていく。
あるいは、
誰かの経験を聞いたことから、
新しい企画や活動が生まれるかもしれません。
最初には誰も予想していなかったものが、
その場にいる人たちの対話から生まれてくる。
そんな時間を、
みんなで楽しめたら面白いと思っています。
「教育」ではなく「共育」
私が「共育塾」という名前を使っているのには、
こうした思いがあります。
教育というと、
教える人と、教えられる人
という関係をイメージすることがあります。
もちろん、それも大切な教育の一つです。
しかし、「共育」には、
人と人が、ともに学ぶ
という意味を持たせたいと思っています。
中学生の一言から、大人が学ぶ。
大人の経験から、子どもが何かを感じる。
先生が生徒から教えてもらう。
異なる世代、
異なる経験を持つ人たちが
出会うことで、
自分一人では考えつかなかったことに気づく。
そんな関係が生まれたら、
とても面白いのではないでしょうか。
まだ、構想の段階です
ここまで書いてきましたが、
まだ具体的に何をするのかは決まっていません。
どんな人に参加してもらうのか。
どんなテーマを扱うのか。
子どもと大人を一緒にするのか。
どのくらいの頻度で開催するのか。
どんなルールが必要なのか。
そして何より、
こうした場を本当に必要としている人がいるのか。
私自身、まだ分かりません。
だから今回は、
「このようなものを始めます」
という告知ではありません。
むしろ、
「こんなことを考えているのですが、
皆さんはどう思いますか?」
皆さんはどう思いますか?」
という問いかけです。
皆さんの声を聞かせてください
もし、
年齢や立場を気にせず自由に話せる場所
があったとしたら、
どんなことを話してみたいでしょうか。
どんなことを話してみたいでしょうか。
どんな人と出会ってみたいでしょうか。
どんなことを一緒に学んでみたいでしょうか。
「こんな場なら参加してみたい」
「こういうことをやってみてほしい」
「こういうことは、やらないほうがいいのでは?」
そんなご意見でも構いません。
私は、一人で
「共育塾とはこういうものだ」と
決めてしまうのではなく、
関わってくださる方々の声を聞きながら、
一緒に形をつくっていけたらと思っています。
それ自体が、「共育」なのかもしれません。
まだ輪郭のない、小さな構想です。
だからこそ、
これからどんな形になっていくのか。
私自身も楽しみにしています。
歴史の中には、私たちのご先祖様が生きていた
2026-08-09
歴史の中には、
私たちのご先祖様が生きていた
― 八幡宮の草刈りから考えた
「歴史」と「日本人」のつながり ―
先日、朝6時から
地域の役員の皆さんと一緒に、
地元の八幡宮の境内の草刈りを行いました。
まだ暑さが本格的になる前の早朝。
地域の方々と汗を流しながら境内をきれいにしていると、ふと、私が共育塾の歴史の授業で大切にしていることが頭に浮かびました。
それは、
「歴史の中には、
私たちのご先祖様が生きていた」
私たちのご先祖様が生きていた」
ということです。
歴史上の人物ではなく、
「ご先祖様」として歴史を見る
学校の歴史では、
縄文時代、
弥生時代、
古墳時代、
奈良時代……と、
時代を区切って学んでいきます。
聖徳太子、
織田信長、
徳川家康など、
たくさんの歴史上の人物も登場します。
もちろん、
こうした知識を身につけることも大切です。
しかし、私はもう一歩踏み込んで、
「その時代を生きていた人たちは、
私たちにとってどんな人なのだろう?」
私たちにとってどんな人なのだろう?」
と考えてみてほしいと思っています。
縄文時代に、
この日本列島で暮らしていた人たち。
弥生時代に米を育てていた人たち。
古墳を築いた人たち。
奈良や平安の時代に、
この土地で生活していた人たち。
彼らは、単なる「昔の人」ではありません。
その中には、
私たちにつながるご先祖様もいたはずです。
そう考えると、
歴史は「昔の人の話」ではなくなります。
自分自身につながる物語になっていきます。
私たちの背後には、
数え切れない人々がいる
自分から、
父、母。
祖父、祖母。
曾祖父、曾祖母……。
さらにその先へと、
何世代もさかのぼっていく。
何世代もさかのぼっていく。
そこには、
私たちが名前すら知らない、
たくさんの祖先がいます。
もちろん、
家系をさかのぼっていけば
同じ祖先に行き着くこともあります。
それでも、
今ここにいる「私」という存在は、
長い時間と数え切れない人々の人生の先にある。
長い時間と数え切れない人々の人生の先にある。
これは、とても不思議なことです。
私たちは、
自分一人で突然この世界に
現れたわけではありません。
自分一人で突然この世界に
現れたわけではありません。
過去の人々の出会いや暮らし、
家族、仕事、移動、そして日々の営み。
その一つひとつが積み重なった先に、
今の私たちがいます。
日本列島で生きてきた人々
さらに視野を広げてみます。
私たちが暮らす日本列島は、
海に囲まれています。
もちろん、
日本の歴史にはさまざまな地域から
人々が渡来し、人の移動もありました。
ですから、
「日本人はみな同じ血筋」と
単純に考えることはできません。
一方で、長い歴史の中で
日本列島に暮らしてきた人々の間には、
婚姻や移住などを通じて、
複雑で広いつながりが形成されてきました。
そう考えると、
「自分とは関係のない人」
と思っていた人も、
遠い祖先までさかのぼれば、
どこかでつながっている可能性があります。
遠い祖先までさかのぼれば、
どこかでつながっている可能性があります。
もちろん、
一人ひとりの具体的な血縁関係を
確認できるわけではありません。
それでも、
私たちは長い歴史と土地の中で、
互いにつながりながら生きてきた存在なのだ。
互いにつながりながら生きてきた存在なのだ。
そんな見方を
持つことはできるのではないでしょうか。
八幡宮の草刈りで感じたこと
今朝、私たちが行ったのは、
ごく普通の地域活動です。
地域の役員が集まり、
八幡宮の境内の草を刈る。
一緒に汗を流し、境内をきれいにする。
けれど、
歴史という視点から見てみると、
この光景もまた大切な一場面です。
この八幡宮を、
私たちより前の世代の人々も
守ってきたことでしょう。
その中には、
私たちにつながるご先祖様もいたかもしれません。
そして今、
私たちがその場所を受け継いでいる。
そう考えると、
神社は、過去と現在がつながる場所
でもあるように感じます。
地域を守ることも、
歴史をつなぐこと
地域の行事や神社の清掃は、
一見すると小さな活動に
見えるかもしれません。
しかし、そこには、
「自分たちの地域を自分たちで守る」
という営みがあります。
そして、その営みは
世代を超えて受け継がれていきます。
歴史とは、
教科書の中だけにあるものではありません。
私たちが暮らす地域にも、
神社にも、
道にも、
田畑にも、
祭りにも、
そして家庭の中にも、
長い歴史が積み重なっています。
歴史を「自分ごと」として学ぶ
だから、共育塾の歴史の学びでは、
単に年号や人物を覚えることだけを
目標にはしていません。
もちろん、
歴史を理解するための基本的な知識は大切です。
そのうえで、
「この時代に生きていた人たちは、
どんな暮らしをしていたのだろう?」
どんな暮らしをしていたのだろう?」
「その人たちは、
私たちとどこでつながっているのだろう?」
「今の私たちが受け継いでいるものは何だろう?」
そんな問いを大切にしています。
歴史を「暗記するもの」から、
「自分自身につながる物語」
へと変えていきたいのです。
私たち自身も、歴史の途中にいる
そして、忘れてはいけないことがあります。
私たちは歴史を学ぶだけの存在ではありません。
私たち自身が、
今まさに歴史の中を生きています。
今日、八幡宮の草刈りをしたこと。
地域の人たちと一緒に活動したこと。
子どもたちに歴史を伝えたこと。
こうした一つひとつの出来事も、
未来から見れば歴史の一部になります。
やがて私たち自身も、
誰かにとっての「ご先祖様」になります。
だからこそ、
過去から受け取ったものに感謝する。
今を丁寧に生きる。
そして、未来の世代へ何かを渡していく。
そのような視点を、
子どもたちにも伝えていきたいと思っています。
「受け継ぐ」から「次へ渡す」へ
歴史を学ぶことは、
過去を知ることだけではありません。
「自分は、何を受け継いでいるのか」
そして、
「自分は、次の世代へ何を渡していくのか」
を考えることでもあります。
それは、
教育について考えることとも深くつながっています。
私たち大人が子どもたちに知識を渡す。
子どもたちが、それを受け取り、自分なりに考える。
そして、やがて次の世代へ渡していく。
そんな「学びの循環」を
地域の中につくっていくこと。
それも、私が考える「共育」の一つの姿です。
歴史の中には、
私たちのご先祖様が生きていた
歴史の教科書を開いたとき、
「昔の人の話だ」
と思うのではなく、
「この時代にも、
私につながる人が
生きていたのかもしれない」
と想像してみる。
そして、
今自分が暮らしている地域を歩いたとき、
「ここにも、長い歴史がある」
と感じてみる。
そんな小さな視点の変化から、
歴史はもっと身近で、
もっと面白いものになるのではないでしょうか。
そして今日、
私たちが地域の八幡宮で草を刈ったように、
私たちもまた、
歴史のバトンを受け取っている一人です。
過去から受け取り、
今を生き、
未来へ渡していく。
そのつながりの中に、自分自身がいる。
私は、
そんなことを子どもたちと一緒に考えながら、
これからも「歴史」を学んでいきたいと思います。
教養があると、世界はもっと面白くなる
2026-08-08
教養があると、
世界はもっと面白くなる
~共育塾が大切にしている「学び」~
先日の共育塾の授業で、
生徒たちに「教養」について話しました。
私が考える教養とは、
単にたくさんの知識を
持っていることではありません。
身の回りで起こっていることを、
いろいろな角度から見ることができる力。
そして、学ぶことによって
「世界がもっと面白く見えてくること」
なのではないかと思っています。
これは、
私が共育塾を始めた理由の一つでもあります。
同じものを見ても、見えるものが違う
例えば、道端に一輪の花が咲いていたとします。
「花が咲いているな」
と思って終わる人もいるでしょう。
しかし、
植物について学んだことがあれば、
「これは何という植物だろう?」
と興味を持つかもしれません。
歴史を知っていれば、
「昔の人は、この植物を
どのように利用していたのだろう?」
どのように利用していたのだろう?」
と考えるかもしれません。
文学を知っていれば、
「この花は、昔の作品の中で
どんな意味を持っていたのだろう?」
どんな意味を持っていたのだろう?」
と考えるかもしれません。
生態系について学んでいれば、
「なぜこの場所に、
この植物が生えているのだろう?」
この植物が生えているのだろう?」
と、その土地の環境に目を向けるかもしれません。
花は同じです。
けれども、
学んできたことによって、
そこから見えてくるものが変わります。
これが「教養」の面白さだと思うのです。
一つの学びが、次の興味を生み出す
学ぶことの面白さは、
一つのことを知って終わらないところにもあります。
歴史を学ぶと、地理が気になってくる。
地理を学ぶと、自然環境との関係が気になってくる。
自然科学を学ぶと、生命について知りたくなる。
生命について考えていると、
「そもそも人間とは何なのだろう?」
という問いが生まれる。
そこから哲学や文学などにも興味が広がっていく。
つまり、
学ぶことは、
世界を狭くすることではなく、
世界との接点を増やすこと
世界を狭くすることではなく、
世界との接点を増やすこと
なのだと思います。
だからこそ、
共育塾では「知識を覚えること」だけを
目的にしたくありません。
「これって、面白いな」
「どうしてこうなるんだろう?」
という気持ちを大切にしています。
学校を卒業したら、勉強は終わり?
そして、
これは子どもたちだけの話ではありません。
大人になると、
「学校を卒業したから、
もう勉強する必要はない」
もう勉強する必要はない」
と思ってしまうことがあります。
しかし、私はむしろ、
社会に出てからだからこそ
面白くなる学びもあると思っています。
ニュースを見ていて気になったことを調べてみる。
昔から不思議に思っていたことを本で読んでみる。
子どもが学校で習っていることを、
一緒に調べてみる。
庭の植物について調べてみる。
歴史や宇宙について、
興味のあるところから学んでみる。
そんな小さな「知りたい」から
始めてもいいのです。
学校のように、
テストや成績がある必要はありません。
「面白そうだから学ぶ」
という学びがあってもいいのではないでしょうか。
大人になってから学ぶと、
見え方が変わる
例えば、学校で習った歴史も、
大人になってニュースを見るようになると、
違った意味を持って見えてくることがあります。
経済を少し学べば、
物価や社会の動きが気になるようになる。
科学を学べば、毎日の自然現象が面白くなる。
心理学を知れば、
人との関わり方について考えるようになる。
つまり、知識が増えることで、
今まで「ただ起こっていたこと」に、
意味やつながりが見えてくる。
意味やつながりが見えてくる。
そんな経験ができるのです。
共育塾は「世界を面白く見る力」
を育てたい
共育塾では、
学校の教科を大切にしながらも、
それだけにとらわれない学びを目指しています。
歴史、
地理、
公民、
自然科学、
数学、
英語、
文学、
社会の出来事……。
一見すると別々に見えるものも、
実際には互いにつながっています。
例えば一つのニュースを取り上げても、
「歴史から見るとどうだろう?」
「地理から見ると?」
「経済から見ると?」
「人間の心理から考えると?」
と、いろいろな見方ができます。
そうして考えていくと、
同じニュースでも、
最初に見たときとは違った景色が
見えてくるかもしれません。
私は、そんな「ものの見方」を
子どもたちに身につけてほしいと思っています。
「共育」だから、大人も一緒に学ぶ
「共育塾」という名前には、
子どもだけが学び、成長する場所ではなく、
大人も子どもも、ともに学び、
ともに育つ場所にしたい
という思いがあります。
子どもが学ぶ。
大人も学ぶ。
そして、お互いに「こんなことを知ったよ」と話す。
そこからまた、新しい興味が生まれる。
そんな「学びの循環」ができたら
素敵だと思っています。
学校を卒業して何年経っていても、
「ちょっと面白そうだな」
と思ったところから、学び直してみる。
それでいいのだと思います。
学ぶことは、世界を見る目を増やすこと
私は最近、
「学ぶことは、世界を見る目を増やすこと」
なのではないかと思っています。
そして、
「教養とは、
人生を面白くするための『見方』を
増やしていくこと」
人生を面白くするための『見方』を
増やしていくこと」
なのかもしれません。
一つの知識が増える。
すると、今まで見えなかったものが見えてくる。
そこから新しい疑問が生まれる。
その疑問を調べる。
すると、また世界が広がっていく。
そんな学びを、
子どもたちと一緒に楽しんでいきたい
と思っています。
「勉強しなさい」だけではなく、
「世の中には、こんなに面白いことがあるよ」
と伝えること。
それが、私が考える共育塾の役割の一つです。
子どもたちが学ぶことを通して、
少しずつ世界を見る目を増やしていく。
そして大人もまた、
興味のあるところから学び直してみる。
そんな場所を、
これからもつくっていきたいと思います。
共育塾では、知識だけではなく「学ぶことの面白さ」を大切にしています
「もっと知りたい」
「なぜだろう?」
「調べてみたい」
そんな気持ちから始まる学びを、
一緒に楽しんでみませんか。
これからの時代に必要な「学ぶ力」
2026-08-05
これからの時代に必要な「学ぶ力」
~共育塾が目指す探究型の学び~
「何のために学ぶのか」
を考える場所へ
子どもたちは、
なぜ勉強するのでしょうか。
テストで良い点を取るため。
志望校に合格するため。
将来の仕事につなげるため。
もちろん、これらは大切な目標です。
しかし、共育塾では、
その先にある問いを大切にしています。
「自分はどんな人として生きたいのか。」
「なぜ学ぶのか。」
この問いを持つことが、
これからの時代を生きる子どもたちにとって、
とても大切になると考えています。
学校の学びを「人生の道具」
として捉える
国語、数学、理科、社会、英語。
学校で学ぶ教科には、
それぞれ大きな意味があります。
例えば、
・国語は、文章を読み取り、
自分の考えを伝える力になる。
・数学は、物事を論理的に考える力
になる。
・理科は、自然や科学の仕組みを
理解する力になる。
・社会は、歴史や社会のつながりを
理解する力になる。
・英語は、世界とつながるための力になる。
自分の考えを伝える力になる。
・数学は、物事を論理的に考える力
になる。
・理科は、自然や科学の仕組みを
理解する力になる。
・社会は、歴史や社会のつながりを
理解する力になる。
・英語は、世界とつながるための力になる。
教科の知識は、
それ自体が目的ではありません。
自分の人生をより豊かにするための
「道具」になるものです。
共育塾では、学力を大切にしながら、
その学びを
人生や社会とのつながりの中で捉えていきます。
ニュースを教材にする
「情報リテラシー」の学び
9月から、共育塾では
新しい学びの形として
「ニュース探究」に取り組みます。
日々のニュースを題材に、
・記事を正確に読む
・分からない言葉や漢字を調べる
・ニュースの背景を考える
・疑問を見つける
・自分で調べる
・考えたことを共有する
・分からない言葉や漢字を調べる
・ニュースの背景を考える
・疑問を見つける
・自分で調べる
・考えたことを共有する
という活動を行います。
目的は、
単にニュースに詳しくなることではありません。
大切なのは、
「情報をそのまま受け取るのではなく、
自分で考え、判断する力」
自分で考え、判断する力」
を育てることです。
これからの時代、
インターネットやAIによって
情報はますます増えていきます。
だからこそ必要なのは、
情報を集める力だけではなく、
情報を読み解く力です。
一つのニュースから、
教科を越えた学びへ
ニュースは、実は生きた教材です。
例えば、自然災害のニュースなら、
・なぜその地域で起きたのか(地理)
・過去にはどんな災害があったのか(歴史)
・気候や自然の仕組み(理科)
・行政や社会の対応(公民)
・データを読み取る力(数学)
・過去にはどんな災害があったのか(歴史)
・気候や自然の仕組み(理科)
・行政や社会の対応(公民)
・データを読み取る力(数学)
など、さまざまな学びにつながります。
学校では教科ごとに分かれている学習も、
現実の社会ではすべてつながっています。
共育塾では、教科の枠を越えて
「世界を見る力」を育てていきます。
親子で一緒に学ぶ時間へ
子どもの学びは、
子どもだけのものではありません。
大人も「知らなかった」「面白い」と
感じながら学ぶ姿を見せることで、
子どもたちの学ぶ意欲にもつながります。
共育塾では、
今後、保護者の皆さまにも
参加していただける学びの場づくり
を進めていきます。
親子で考える。
親子で語る。
親子で新しい発見をする。
そんな時間を地域に
つくっていきたいと考えています。
共育塾が目指す学び
共育塾が目指しているのは、
単に成績を上げることだけではありません。
もちろん、
基礎学力や学校の学習も大切にします。
しかし、その先にある、
「自分はどう生きたいのか」
という問いを持つこと。
そして、
「学ぶことは楽しい」
と感じられること。
それが、
これからの時代を生きる力
になると考えています。
子どもたち一人ひとりが、
自分らしい生き方やあり方を見つけていく。
共育塾は、
そのための学びの場を目指しています。







